社長ブログ -雑多な日々-
葛岡のあたりはまだ雪が残っていますね。
わたしが子どもの頃、正月といえば雪景色が当たり前でした。
仙台市内でも、軽くヒザくらいまでは積もったし。
風もうんと強かったので、当時流行ったゲイラカイトという凧
(スパイダーマンみたいな顔したヤツ)が
あっという間に、ちっさなマメ粒ぐらいになるくらい上がりました。
で、糸が切れて、その辺の電線に誰かのゲイラカイトが
ダラーンとなって引っ掛かっていましたね(笑)。
木町通りに手作りでコマをつくってくれる店があってね。
通称「木町のコマ屋」。
店と行っても、コマ切れになった角材が山積みになって、
それにうずもれるようにして、
横向きのロクロみたいな機械がちょこんとあるだけ。
そこの、ちょっと話し方が不自由なオンチャンのつくるコマが
もう芸術的にウマかったのよ。
サクラとかケヤキとかその辺に積まれてる中から木を選んで、
「センベイ」とか「ケンカ」とか「チューリップ」とか「そろばん」とか
ヘタっぽい手書きメニューからオーダーするわけ。
で、そのコマをその場でつくってくれる!!
みんなそれができるのを、ときにはポカンと口を開けて
ときにはニヤニヤしながら見ていました。
あのときの木の匂い、思い出すなあ。
それを自分流にラッカーで色を塗ってアレンジして、
勢い勇んでたまり場に集まっては勝負していました。
当時はスポ根マンガ全盛だったせいか
みんな勝負に熱かったですね。
強いヤツ、弱いヤツがいて、自然と小さな社会ができていました。
わたしの額の傷も、その頃のケンカの賜物(笑)。
ある日、友達の弟が、わたしからパッタ(俗にいうメンコですね)を
取られた悔しさでハンマーで殴られちゃった。
ハハハ・・・
でもそいつ、小さいヤツだったから、
仕返しはしませんでしたよ。
分別のつかない子からパッタを奪った自分が悪いと思いましたね。
寒くても、遊び場はほとんど外でした。
泉ヶ岳付近の車道は、両側が高い雪の壁になって、
道路も圧雪状態だったんですよ。 車がみんなフラフラ進んで、
まるで酔っぱらってるみたいでした。
父の実家が泉ヶ岳のすぐ近くだったので、
冬休みといえばスキー。
小学校の頃は休み中ずっと親戚に預けられましたから、
スキーはかせりゃ、水を得た魚でした。
国見の仙台高校は、一度雪が降ると春まで溶けませんでした。
柔道の授業をさぼると、春先になんと
雪のグラウンドを素足で走らされました。
当時、講師の先生は福祉大の小野寺五段。
寺内貫太郎を筋肉質にしたみたいな先生でした。
今なら大問題でしょうけど、
当時はなんかやらされるのが
一種のステータスみたいになって、
笑いながら走っていました。
なんか、あの頃毎日笑っていたなあ。
でも、40歳も半ばになってきて、何度も新年を迎えると、
だんだん新鮮さとか決意とかがなくなってきたような気がします。
世の中もそうなってきたんじゃないかな。
「書き初め」とか話題に上ることもほとんどないし。
でも、あと何回新年を迎えられるかは、誰にもわからない。
毎日を大切に過ごしていきたいな、と思いました。
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